おおまぐろの上海紀行（１０日目）
１１月６日（金）
きょうは６時４０分起床。少しばかり早起きした。テレビをつけると「おはよう日本」の後半部分に入ったところだ。朝のニュースにさえ目を通しておけばだいたいの日本のニュースが分かるので浦島太郎にならなくても済む。
それにしても日本のニュースの内容は国内ものに偏っている。衛星中継時代なので世界中のニュースが同時に見えるけれども、細かなローカルニュースまでが取り上げられているのは日本だけのような気がする。外国での日本人観光客に対する評判が悪いのも普段からの考え方が鎖国的になっているのが原因かもしれない。国内のニュースに重きを置く価値判断も国際化にとっては大きな障害になると気づくのであった。
朝食はカップヌードルを作った。NISSIN の中国工場で作られた製品だから日本で買っているものと変わらない味だ。ところで日清製粉は中国では社名として漢字を使っていない。察するところ、日は日本を表すけれど「清」という字は革命前の中国の国名を表しているのだ。だから日中とか中日（中国では日中友好条約は中日友好条約なのだ）ならいいけれども、今の中国では使えないのだろうな。ちなみにアメリカは米国ではなく美国である。けっして美しい国という意味で使われているわけではない。
いよいよきょうが最後の展示だ。午前中は１０人程度の見学者があった。その中に、きのうのレセプションで来ると約束していた香港衛星放送のＭｒ．Ｒｏｙもいた。彼は立体テレビをまず見て言う。「映像は大変素晴らしいけれども疲れる。１０分が限度だ」と。確かに特殊な眼鏡を掛けて動きの激しい映像を見つめるのは疲れると思う。外交辞令ばかりで褒め言葉しか言わない見学者が多い中ではっきり物を言う人は貴重である。
壁掛テレビについて彼はブラウン管式テレビとの比較を私に質問した。私は拙い英語と身振り手振りを総動員して、プラズマディスプレイパネルは薄くできるので大型画面になればブラウン管よりも有利である。しかし値段はいま２５０万円以上もするから誰も買えない。でも数年後には１００万円くらいにはなるのではないか、そうなると少しずつ売れ始めるからもっと値段は下がるだろう、と説明した。日本の景気動向などは考えずに希望的観測だけで言っているから、ほんとのところは誰にも分からない。
午後は予想通りまったく人が来ない。ホテルの中に人がいないのだから当然だ。ただ例外的に１２時過ぎたころ、普段着に着替えた数人のグループが入ってきた。総会が終わったのでこれから自由行動といったところだろうか。私もそろそろ自由になりたい頃だ。
Ｎ社の二人が食事に行っている間、私は昨日考えた計画を実行に移すことにした。記者会見が始まる３時くらいまでに帰ってくれば誰にも迷惑はかからないはずだ。すばやく行動を起こしたので午後１時過ぎには地下鉄の乗客となっていた。地下鉄は二つ目の駅で降り、ガーデンホテルを目指す。だいたいの土地勘は昨日地図を見て頭に入れておいたから迷うことはない。歩いて１０分ほどでお目当ての店の前に立つことができた。
専門店だからちょっと入りにくい感じがするが思い切って中に入る。店には女性店員が二人。歳恰好から親子ではないかと想像した。３０代前半と５０代後半かな。そして女性の客が一人。こちらは母親の方が相手をしている。したがって私の相手は若い女性が担当する。なかなかの美形でスタイルがいい。５ｍ四方くらいのこぢんまりとした店舗である。派手さはないが小奇麗な内装でまずまずの雰囲気である。通りに面したウィンドウと三方の壁に色とりどりのドレスが下がっている。もちろんすべて女性用のドレスである。
ほどなく奥の壁に下がった一つのドレスに目が釘付けになる。黒地に銀の模様、最初は刺繍をほどこしてあるのかと思ったが、細かな飾りが貼り付けてある。黒を基調としたイメージどおりの色合いのチャイナドレスである。黒と金または銀、赤と黒、というシックな色合いが似合うと思って探していたのである。
おそるおそるサイズを尋ねる。妻は私と Same Size だと言うと、ちょっと見つめられて It's Too Big という返事。彼女自身が自分のサイズに合わせて作ってあるドレスは、奥様には大きいと説明しているのだ。悔しいけれども、確かに彼女の方が私よりも若干背が高い。望み薄とは思ったが、同じデザインで小さ目のサイズはないかと聞くと「めいよー」と言って首を振る。中国語で無いという意味くらい私でも分かる。サイズを縮めることもできるが時間がかかるという。後から送ってもらう方法も聞いてみたが、送り先が日本だというと首を振って笑っていた。
５分ほど悩んだ。ほかのドレスも見てみたがどうもピンとくるのがない。やっぱりこのドレスに戻ってしまう。決断する潮時だ。ちょっと大きいかもしれないが、彼女も見上げるほどの大女ではないし、着られなければ飾り物にもなるはずだ。裾を短くするくらいの手直しなら知り合いの洋装店でもできると思った。なにより直感、出会いが大事なのだ。
OK, Ｉ Want It。商談成立だ。にっこり笑った彼女、Thank You と言って袋を探し始めた。こういう専門店だからちゃんとした袋が出てくると思ったが、どうもきれいな袋が見つからなかったらしく、照れくさそうに笑ってスーパーで使う袋と同じ白いやつに入れて渡してくれた。値段は７８０元。１万２千円弱。我ながらいい買い物ができたと満足する次第である。
ホテルに戻ったのは２時過ぎ。行動を開始して１時間ちょっとで戻ってこられたのである。比較はできないけれども、秘密の仕事をまんまとやり遂げた諜報部員のような気持ちとはこんなものだろう。展示会場に戻ると、誰も客が来ないのでＩ君は昼寝。彼は客がいてもＶＴＲが回っている間は寝ているけれど・・・。Ｔさんは責任者らしく、片づけの準備を始めていた。
予定どおり３時から記者会見が始まったようだ。その間、私は展示会場で待機するが、相変わらず誰も来ないので記者会見の様子を見に行く。主に中国の記者が中国語で質問し、それを会場に英語で通訳して流す。すると主役の横にいる付き人が日本語で主役に伝える。少し考えて彼は日本語で答える。すると付き人が英語に直して伝える。会場ではその答えの中国語訳が流れるといったふうで、やりとりにとても時間がかかるのだ。
こんなふうだから４時に終わる予定の記者会見が終わらない。終わらなければ片づけが始まらない。Ｔさんはしびれを切らして片づけられるものから撤収を始めた。そのとき会場に一人の男の子を連れた中国人女性が入ってきた。男の子は４歳くらいだろうか。それが私たちにとっての最後の客となった。最後の客が子供で、しかもすごく喜んでくれたのでほんとによかったと思う。少しでも夢を受け取ってくれたなら幸いである。
４時半頃、記者会見も終わってすべての公式行事がお開きとなる。事務局から片づけ開始のゴーサインがでるかと思っていたが、私たちのことを忘れてしまったのか何の連絡もない。もう勝手にしろ、と独断で本格的な片づけを開始する。３時間もあれば梱包作業も終了するのだが、６時半からは身内の打上げがあって中断せざるをえない。私たちを抜きにして始めてくれないかと事務局に頼んでみたものの、私がクビになるからと事務局の責任者が言うのでは仕方がない。ボスが招聘するのだから彼らに判断できるわけはないのだ。否も応もない。
６時２０分頃、まだ片づけが終わらない私たちを事務局の責任者が迎えに来た。行かねばなるまい。場所は隣のホテルの１４階。あまり大きくない部屋に２卓の丸テーブルがある。私たちは遅く到着したのでボスが座っている方の卓へ無理矢理誘導される。もうそこしか席が空いていないのだ。誰だって彼とは同席したくないのだろう。私は彼の隣の隣の席に座るはめになってしまった。こうなれば、すぐ隣でなかったのを喜ぶしかない。
威圧的な目のおじさんは大儀そうに椅子の上にあぐらをかいて座っている。腰を痛めているという弁解をしているが、身内だけの宴席なので地をそのまま出ているだけである。関係者をねぎらう気持ちなど彼の態度からは伝わってこないが、ま、別に期待していたわけではないから結構である。
２時間ほどの会食の間、ほどほどに酒を飲んだのだが、あまり気持ち良く酔えなかった気がする。それもこれもボスがいて皆の神経がぴりぴりしていたからだろう。印象に残っているものといえばすっぽん料理である。
すっぽんの一番の食べ所は甲羅だそうである。日本で甲羅まで食わせるところは寡聞にして知らない。実物は骨の周りにゼラチン質の身がたくさんあってたしかに精力がつきそうである。ボスは盛んに甲羅にしゃぶりついていたが、私は食べる気が起こらなかった。
少しも盛り上がらない宴席が終わると、また私たち３人は梱包作業の再開である。あまり酒に酔わなかったおかげで思ったよりも早く作業が終了した。午後１０時は過ぎていたけれども、きょうも泡ぶくぶくの風呂で汗を流せたし、明日の今の時間は日本にいれると思うと、最後の紹興酒の１杯が至福の眠りに誘うのであった。
